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謹賀新年 [雑]

2015年1月07日

見れば昨年8月で更新の滞りしを知る(汗)が、ま、それはともかく。
久しぶりに松の内の挨拶である。

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☆いえーい☆☆☆きんがしんにぇんにゃー☆☆☆


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オれことしわでれでれしることにきめたんにゃ。


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やっぱしこーしてでれでれしてんにょが、ただしいにぇことゆーもにょにゃ。


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えっ?
 
 

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コメント(6) 

「産ませる権利」はあるか [雑]

子宮癌の為子供を作れぬことになったタレントが、米国で代理出産による双子を得、これを実子として戸籍に入れようと試みたが、最高裁判所により却下された。

科学の進歩には功罪があるという、典型的な例であろう。これ等の技術がなかった頃は、子を産めぬ場合は諦めるという方法が一般的であった。代理出産については、今現在でも十分な財力がなければ出来ぬことではあるが、ともかく人は、方法を手に入れてしまった。出来るのであれば、やりたくなる。こうして欲望は加速度的に肥大する。はっきり言うが、「自分の子供を持ちたい」というのは、人間にあっては最早自然の摂理でも種保存の本能でもなく、欲望である。わが身は代理出産には完全に反対の立場をとる。他人の生命を危険に晒すからである。高度に医療の発達した先進国にあっても、出産で命を落とすことは、稀ではない。そのリスクを金で他人に負わせようというのが代理出産である。相手も承知できちんと契約を結び、対価を払っているというのであろうが、それは人身売買というものである。他人の命を危険に晒してでも自分の遺伝子を持った子を作ろうというその欲望は、一体どこから来るのか。腹貸し女が出産で死んだ場合は、どうするつもりなのであろうか。
戸籍というものにも問題はあり、わが身は戸籍撤廃論者であるが、今回の決定は妥当であると考える。法の外の行為により子供を作るからには、それくらいのリスクは自分で負って然るべきであろう。「米国では合法」というが、如何に飼い犬であろうと、日本は米国ではない。米国で合法なのであれば、親も米国籍をとって米国人になってはどうか。いい大人が、やってしまってから「認めてもらえるだろう」と考える、この甘さが信じられぬ。このタレント夫妻の、自分らは"被害者"であり一切リスクをとらぬのが当然という姿勢は、どうにもうそ寒い。
また、代理出産の生物学的影響といったものも、長期的に見て行かねば分からぬことである。つい最近も、人工授精による子供の中に、血液型が混在する例が発見されたという報道があった。事ほど左様に、自然をいじる場合は、長期的な監視が絶対条件であると思われる。人間には、自然ほどのことは決して出来ぬのであるから。


厚顔とボケと失言と判断力 [雑]

1月末日である。

厚生労働大臣の発言が、物議を醸している。
簡単に言って、この者は愚か者である。そもそも産む産まぬを決定するに際しては、男女双方が様々な要素を検討の上、結論を出すものである。近頃は負の要素が勝っているため、子を持たぬという選択をするカップル(何も夫婦とは限らぬ)が増えているのであろう。然るにこの者は、
男「頼む産んでくれ。子供が欲しいんだ」
女「ヤダよーん。子供なんていらないもんねー」
という単純な図式で子を持つことを女性が回避しているというイメージしか持っておらず、本当は「がたがた言わずに黙って産め」と言いたいのではないか。少子化対策が火急の重要課題であるなら、要因を多角的に検討し実効性のある施策を次々に打ってゆく必要がある訳だが、斯様な視野狭窄の単細胞にそれが出来るのか。発言が女性にとって不愉快なものであることは確かであろうが、これは感情の話ではなく、無能者は辞めよという話である。愚か者に大臣を務めさせておくのは税金のムダであるから、本人に辞意がないのであれば即刻罷免されたい。

.....とは申せ、では現在の他大臣は有能かという命題を立てると、ははははははは......。


上塗り [雑]

前回のタイトルはケタグリをもじってGet a Gripとしたのだが、この言葉はどこぞで何か特別な意味を持つらしく、閲覧数がこのblogとしては異常に多い。多くの者が何かの検索からここへ来るのか(書き込み日数は少ないしロクなことは書いていないしで、検索エンジンなどに引っかかるはずはないのだが.....so-net blog内検索でもしているのだろうか)、ともかく来て見てみれば、それは彼らが求めるGet a gripとは何の関係もないことを発見し、「ちっ」と言って閉じられるだけの話であるから、なるべく引っかからないように新書き込みをしてしまうことにした。なので話の種は特になく、以上で終わる。


表現意欲の逓減 [雑]

日頃定期的に徘徊しているサイト群において、blogが併設されているものがよくあるのだが、毎日blogに思うところを連綿と書き綴っているサイトにおいては、肝心の更新が滞っていたりすることがある。わが立ち回り先は、調べ物の場合を除き大抵創作系であるのだが、ある人間が創作する、つまり表現する欲求というものは、blogによってかなり骨抜きになっているようである。つまり表現欲求は日々のblogでかなり直接的に満たされてしまい、大方の場合婉曲表現であるところの創作への欲求が逓減するのだと思われる。四苦八苦して創作するよりは、思うところをそのまま文章にして書き込んでしまう方が遥かに楽であるから、趣味の創作の場合、blogの方がよければそれで全く構わない(というより、個人の趣味であるから、余人の知ったことではない)のであるが、これが創作を生業とする人間となると、話は別である。自分の作品に対しblogにて説明を試みるは愚の骨頂であり、裏話というよりは、敗北宣言に他ならぬ。元来創作者というものは、その作品において思うところを伝えるべきであって、作品それ自体から作者の思うところを汲み取ってもらえぬとすれば、それは受け手が馬鹿な場合を除き、創作の失敗に過ぎぬ。もちろん世の中には、思わず説明したくなるような馬鹿な受け手も実際に少なからず存在するのだが、そういう輩に理解させる暇があったら、おのが創作の質を高めることに時間を費やした方が身のためというものである。

話は変わるが、千葉の者共の一羽が、先頃突然死したという。代わりが来る可能性があるとも聞いているが、余りにも稀少である者共のこと、まだ4羽いることでもあり、また連れて来る必要があるのであろうか。野生では著しく稀少であるのに、繁殖のアテもないままアフリカから極東の地に次々と導入するのはいかがなものか。


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